1コマ日常劇場【なにとなし】

なんとなくわかる1コマ。 なんとなく見て下さい。 なんとなく、なんとなく、なにとなし…。

髪を切りすぎたら時が止まる

バカとハサミ


明らかに失敗でしょ。

 

いつもなら雑談多めのあなたが、途中から劇的に無口になったし。

そのときから嫌な予感はしてたんだ。

 

なんら変わらないオーダー。

いつもどおりでいいですか、ってあなたが言ったんだから。

 

明らかに失敗でしょ。

 

うしろはこんな感じです、って鏡をあてる時間が明らかに短いから。

いつもと同じ美容室、いつもと同じ美容師。

髪を切り終わったあと、あなたは用事があるフリして奥へと行った。

 

アシスタントさんが鏡をあて、目も合わさずレジのほうへと誘導する。

ありがとうございました、とだけあなたは言いに来た。

凝り固まった笑顔で俺の顔を少しだけ見て、いつもより深く長くお辞儀をした。

 

停まっている車の窓を見ても、店のガラスを見ても、手で触っても。

いつもはこんなに切ることないのに。

冷たい風がやたらとまとわりつく。

 

髪を切ったあとなんてそんなもんだ。

俺は自分に言い聞かす。

違和感を覚えて当たり前。

だって髪を切ったんだから。

 

まだ見慣れていないだけだ。

一晩寝れば、また印象は変わっているはず。

そう思い続けて、いつもより早く布団へ潜った。

 

嫌だな、いじられるの。

起きてもやっぱり失敗だ。

切りすぎだよ、あなた。

やっちゃったね、あなた。

誰だよ、おまえ。

眠れなくて何度も布団から抜け出し鏡の前でひとり呟く。

 

だって絶対変だもん。

こんなにバッサリいくかね。

 

みんなになんて言われるんだろう。

誰にも気づかれなきゃいいのに。

嫌だな、いじられるの。

 

早く寝たのに。

一晩寝たくらいじゃあ、髪の毛ってそんなに急に伸びない。

いつもなら伸びるの早いな、なんて思うのに。

 

誰も俺の存在に気づかなかったらいいのに。

存在感があるほうじゃないけど、ゼロではない。

クラスの中心にはいないけど、そこまで端でもない。

中途半端が一番いじられるんだよな。

 

どうせなら笑ってくれればいい。

笑って、笑って、すぐにみんなが飽きてくれればいい。

でも髪型では笑えても、この髪型になるまでの面白エピソードなんて俺には言えない。

そんなことできたら、きっとクラスの中心にいるだろうから。

そんなスキルは俺にはない。

考えてみたけど、全然おもしろくない。

 

髪の毛を引っ張っても、伸びない。

整髪料をつけてみても、うまくごまかせない。

かと言って、これ以上短くする勇気はない。

 

嫌だな、いじられるの。

誰にも気づかれなかったらいいのに。

ほんの少しの可能性に賭けて、誰からもなにも言われないパターンを想像してみる。

 

………。

嫌だな、誰からもなにも言われないなんて。

 

休み明け、こんなに明らかに失敗した髪型で行ってるのに、誰からもなにも言われないなんて。

どれだけ俺は気にされていないんだ。

俺が思っているより、俺はクラスの端にいるのかもしれない。

中心はもう諦めているけど、端の端は嫌だな。

コンビニのおにぎりで言えば、少しは具と一緒に食べられる位置の米でいたい。

 

笑われても、後ろ指さされても、なんなら意外といいねなんて言ってくれてもいい。

なにも言われないよりかは、幾分も良い。

 

嗚呼。

でもいじられるのも嫌だな。

 

どうすればいいのか。

どうしてほしいのか。

俺にもよくわかっていない。

 

わかっているのは、ただひとつ。

 

この髪型は明らかに失敗だということ。

 

早く髪の毛伸びないかな。

早く明日にならないかな。

 

このいろいろ考えている時間が無駄だし、もやもやするだけ。

答えは学校に行ったら明らかになる。

 

早く時間が経たないかな。

外はまだ薄暗い。

何度鏡を見ても髪の毛は伸びない。

それでも何度も見てしまう。

これだけ見たのに、まだ違和感を覚える。

だって明らかな失敗だから。

 

ほら、また考えてしまう。

嫌だな、いじられるの。

でも、なにも言われないのも嫌だな。

 

きっとクラスのみんなも困るだろう。

どう反応すればいいのか困るだろう。

俺だって困ってる。

俺はどうなってほしいのか、自分でもわかっていないから。

 

俺はバカなんだ。

考えてもしょうがないことを延々と考えているから。

今日一日を想像だけで終えてしまったから。

ほかに使いようがあった時間を。

 

行動に移すべきだ。

一か八か、勝負すべきかもしれない。

 

引き出しを開け、はさみを手に取り、鏡の前に立つ。

窓の外が少しだけ明るくなってきた。

ツイているかツイていないかは結局その時の状況次第

結果論


寝坊した。

目覚まし時計はまだ起きる前の時刻なのに。

やたらと寝た感があるし、テレビをつけたら普段なら見ることのない番組が流れている。

確認のため携帯電話を開く。

 

やっぱり遅刻だ。

 

慌てて支度をはじめる。

洗面所に向かい蛇口をひねる。

しかしいつまで経ってもお湯が出ない。

少し調節すると、今度は火傷しそうなくらい熱いお湯が出る。

また調節すると、水になる。

いつまで経っても丁度いい温度にならないので仕方なく水で顔を洗う。

 

冷たく震える手を吐息で温めながら、着替えながらもう一度目覚まし時計を確認する。

秒針は小刻みに震えるだけで進まない。

電池切れだ。

 

こんなことしている場合じゃないと、急いで家を出る。

寝坊はしたが、まだ間に合う。

 

今日は大事な会議の日。

昨夜は今日に備えて早めに寝たのに。

 

自転車にまたがり、立ちこぎでペダルを踏む。

信号にやたらと引っかかる。

いつもはこんなに引っかからないのに。

時間がずれると信号のタイミングもずれるのか。

舌打ちを鳴らし、地面に着けた左足を揺らし、なかなか変わらない信号を見つめる。

 

何度目かの信号待ちのとき、雨が降ってきた。

舌打ちの回数が増える。

ツイてないな…。

舌打ちを止めても、雨は止まない。

 

濡れたまま会議に出る訳にはいかないと思い、コンビニへと入っていく。

レインコートを手に取る。

レジに向かうと、結構な列ができている。

マジか…。

手に取ったレインコートに目をやり、買うか止めるか、迷う。

腕時計に目をやり、列に並ぶことを決意する。

できるだけ息をゆっくりする。

落ち着けと心の中で言い聞かせる。

 

ようやく自分の番だ。

レインコートを差し出すと同時に財布も取り出す。

えっ?

小銭がない。

千円札もない。

五千円札もない。

一万円札しかない。

千円に満たない買い物に一万円札。

お釣りの時間がもったいない。

仕方なく一万円札を差し出す。

「ポイントカードは…」と言う店員の言葉を遮るように「いいです」と答える。

レジ袋を取り出そうとする店員の動きを遮るように「このままで」とレインコートに手をやる。

「すみません。五千円札切らしているので千円札で失礼します」

舌打ちをこらえ、店員が千円札を数えるのを、ただ待つ。

 

ツイてないな…。

レインコートを着て、腕時計を確認する。

まだ大丈夫。

一応、腕時計が遅れていないか携帯電話で確認する。

あれ?

ポケットというポケットをまさぐり、バッグの中も確認する。

 

忘れた。

慌てて出たから、携帯を家に忘れた。

舌打ちが止まらない。

ツイてないな…。

いや、これは、ツイてるツイてない、の問題じゃなく自分のせいだ。

舌打ちをリズミカルに刻む。

自転車にまたがり、立ちこぎでペダルを踏む。

しばらく漕いでも舌打ちが止まらない。

しばらく漕いでいたら雨が止んだ。

 

もう少しで会社に着く。

ここに来るまでカラスに鳴かれ、目の前を黒猫が横切り、靴紐が切れた。

大きく息を吐き出しながら自転車を停め、走って会社の中へと向かう。

 

痛っ!

 

切れた靴紐を踏んでしまい、派手に転んだ。

出勤時刻ギリギリのこの時間、まわりにはたくさんの人がいる。

恥ずかしいし、ツイてない。

 

顔を伏せたまま、何事もなかったかのように立ち上がる。

 

「大丈夫?」

声をかけてきたのは同期のユミコちゃんだった。

同期と言っても、部署は違うし、お互い顔を知っている程度の仲。

っていうか、俺の片想いの相手。

入社してから、ずっと。

ひと目見たときから今まで、ずっと。

向こうは俺のことを知っているのかどうかも疑問だが。

 

それでも普段会うこともないし、話すことももちろんない。

見ることができたらラッキーな存在。

 

ツイてるな…。

 

これまでのすべてはこの瞬間のためだったのだ。

この時間にこの場所でユミコちゃんに会えるこの瞬間のために。

すべては伏線なのだ。

 

「あっ、うん」

中途半端なにやけ顔で、差し出されたユミコちゃんの手を握る。

 

ツイてるな…。

 

「ちょうどよかった。今度同期で飲もうって話があるんだけど、松倉君もどう?」

 

ツイてるな…。

 

手を握った上、一緒に飲めるだと?

行くに決まっている。

 

「いいよ。いつ?」

がっつかないように、素っ気なくなりすぎないように答える。

 

「まだ決まってないんだ。みんなのスケジュールに合わせるから。決まったら連絡するから、連絡先教えてもらっていい?」

 

ツイてるな…。

 

さらに連絡先まで交換できるだと?

 

ユミコちゃんが携帯電話を取り出す。

ポケットをまさぐり、そして、思い出す。

 

「…ごめん。今日携帯忘れたんだ…」

ユミコちゃんは取り出した携帯をバッグにしまう。

「そっか。じゃあ決まったら内線で連絡するね」

ユミコちゃんはそのまま歩いて去って行く。

 

もうすぐ始業時間だ。

急ぐ気にもならない。

会議の準備を早くしないと。

急ぐ気にもならない。

 

やっぱり今日はツイてない。

 

去って行くユミコちゃんの薬指に、光る何かが見えてしまった。

スタートラインを引くのはいつだって自分

一週間のはじまり


なにかの機械音だけが響く小さな部屋で、俺はパイプ椅子に座っている。

 

棚にかけられているカレンダーに目をやると、いろんな書き込みがされている。一つひとつ見ていくが、暗号のようでなにもわからない。きっとこの店の専門用語なのだろう。ひとつだけわかるのが、日曜日はどうやら忙しそうだということだけだった。

 

「お待たせしました」

ドアが開くと銀縁眼鏡をかけた痩せた男が入ってきた。

 

「よろしくお願いします」

俺は椅子から立ち上がると、頭を深く下げる。

 

「お願いしまーす。えっーと、あっ、座っていただいて…」

銀縁の男は一度も目を合わせることなく手を伸ばしながら、向かいの椅子に座った。

 

「えっーと、キムラさん、ですね。お待たせして申し訳ありませんでした」

椅子に座った銀縁の口調は見た目とは裏腹に丁寧でやわらかい。

 

「わたしは店長のササキと申します」

ササキは机に手を乗せ、頭を下げる。

顔を上げたササキとようやく目が合う。

眼鏡の銀縁がちょうどライトに反射され、怖そうな顔がより一層輝く。

 

「あっ、はい、キムラです。よろしくお願いします」

俺はもう一度頭を深く下げる。

 

「早速ですが……。週にどれくらい入れそうですか?」

ササキは俺の挨拶にかぶせ気味に話しはじめる。

 

「そうですね。週56は入れると思います」

「ああ、それはありがたい」

少しだけササキの顔がほころんだ気がした。

 

「日曜日は?」

ほころんだ気がしたのはやはり気のせいだったのか、ササキは銀縁の奥から鋭い眼光を刺してくる。

 

「日曜日は…、はい出れます」

俺は様子を伺いながら返事をする。

 

「そうですか。日曜日は忙しくて人手が足りないんですよ。入ってくれると助かります」

喜んでもらっている気はするが、ササキの顔は怖いままだ。

 

「じゃあ、来週の日曜日からお願いできますか?」

ササキは銀縁を人差し指で上げながら言う。

 

「あ、はい。大丈夫です」

面接だというのに大したことも聞かれず、日曜日に出れるというだけで採用になったことに俺は驚いた。

 

「じゃあ、来週の日曜日からということで…」

ササキは手元に置いた手帳に銀色のボールペンで書き込んでいく。

 

俺はポケットからスマホを取り出し、カレンダーをチェックする。

ササキが、それじゃあ、と言って席を立ちかけたとき、俺が声をかけた。

 

「あの、すみません…。来週の日曜日って次の日曜日のことですか?」

スマホをテーブルに置き、ササキのほうに向ける。

 

「ん?来週の日曜日は、来週の日曜日ですよ?」

ササキは眼鏡を押し当て、スマホを覗き込む。

 

「週のはじまりって一般的には月曜日だと思うんです。でもカレンダーは日曜日はじまりが多いですし、小学生の頃そう習った記憶があるんです。日曜日が週のはじまりで土曜日が週の終わり、月曜日は週がはじまって2日目。…すみません、あの、来週の日曜日っていうのは次の日曜日ですか?それともその次の日曜日ですか?」

自分でもうまく説明できないことに苛立ちを覚える。銀縁の怖い顔のササキは、もっと理解できていないであろう。恐る恐る、ササキの顔に目をやる。

 

「……なるほど。言っていることはよくわかります。じゃあ日付でいきましょう。えーっと、キムラさんに出てほしい日は、この日です」

ササキは俺のスマホに指を当てる。

 

ササキが指差した日付は、次の次の日曜日だった。

 

「たしかに今日は木曜日ですから、来週の日曜日と言ったらキムラさんの言った通り次の日曜日ってことになりますね」

ササキは腕を組み、銀縁を触り、息を吐いた。

 

「なんか、すみません。自分でもなに言ってるのか…。でも、日にちだけはしっかり確認しておきたくって…」

俺はスマホをポケットにしまう。

 

「いやいや、なかなか勉強になりますよ」

ササキは眉間にしわを寄せている。

 

「…すみません」

俺はなぜか謝り続ける。きっとササキの顔のせいだ。

 

「まあ、なにかのはじまりは区切りが良くないとダメっていうことはないですからね。日曜日だろうが月曜日だろうが、木曜日だろうが。人は区切りが良いときになにかをはじめがちですけど、そもそも人が考える区切りなんて誰かが考えた区切りに乗っかっているだけですからね」

ササキは頷く。何に、どこに納得したのか、大きく頷く。

 

俺はそれを見て、はあ、と相槌を打つのが精一杯だ。

 

「そうですね!誰かが考えた区切りに乗っかるんじゃなくて、自分たちで区切ればいいんです!はじめたいと思ったときが私たちの区切りなんです!」

ヒートアップしたササキが立ち上がる。

 

「キムラさん。今からはじめませんか?」

「えっ?」

「店に行きましょう」

「今からですか?」

「はい。なにかこのあと予定ありますか?」

「…いや、予定はなにもないですけど」

「じゃあ行きましょう。切りの良い区切りなんて考えずに!」

銀縁の奥のササキの目は細く、それでもやさしく思えた。

なにかがはじまった実感なんてなにもないけれど、はい、と答えた俺はきっと笑っていた。

自分なりのこだわりは誰のためでもなく自分のため

立ちこぎ


占いを信じすぎる男、サダアキ。

 

毎朝占いをチェックして、ラッキーアイテムを必ず持って行く。

誰に見せるわけでもなく、基本的にはバッグに忍ばせておく。

 

前髪を気にしすぎる女、アヤミ。

 

前髪が伸びたらすぐに切りたがるくせに、切ったら切ったで失敗したと嘆く。

何度も同じことを繰り返しているので、長さに合った解決策は持っている。

 

ふたりは今日、初デートだ。

 

サダアキは以前、ラッキーアイテムが黒縁メガネだったことがあった。

普段ラッキーアイテムはバッグに忍ばせるが、コンタクトの調子が悪かったのと丁度自分のメガネが黒縁だったのでかけて仕事へ向かった。

 

「メガネ、めちゃくちゃ似合いますね」

 

いつもはかけないメガネで行ったのに、誰からも大していじられなかったとき、後輩であるアヤミだけは褒めてくれた。

 

同じ日の朝、アヤミはご機嫌だった。

 

前髪のセットが、完璧にできていたから。

アヤミの中で、人生トップクラスにうまくいった朝だった。

 

いつもよりテンション高めに出社し、いろんな人に挨拶をした。

前髪が自分の中で最高のコンディション。

誰かのためにやっているわけではないが、誰かには気づいてほしいと思って。

 

それでもまわりは誰も前髪のことに気がつかない。

テンション高いね、とか、今日はなんか元気だね、とか、なにか良いことあったの?とか。

 

自分で答えを言うのではなく、誰かに答えを見つけてほしい。

その中で、アヤミはサダアキに挨拶をした。

 

「おはようございます。あっ、メガネめちゃくちゃ似合いますね」

 

サダアキは、ありがとう、と言い照れた仕草を見せる。

 

「前髪、かわいいね」

 

サダアキはアヤミを見て言った。

 

そこからふたりの距離は縮まった。

そしてとうとう、初デートの日を迎えた。

 

「なんでこんな日に限って…」

サダアキは占いをチェックしながら呟く。

 

テレビをつけていても外の雨音が聞こえてくる。

ラッキーアイテムは、赤いキャップ、だった。

 

「持ってないよ、そんなの…」

サダアキは時計に目をやる。

待ち合わせまでまだ時間がある。

サダアキは急いで家を出た。

 

「なんでこんな日に限って…」

アヤミは鏡を見ながら呟く。

 

ドライヤーを使っていても外の雨音が聞こえてくる。

切ったばっかりの前髪のセットがうまくいかない。

 

「切るんじゃなかった…」

サダアキに褒められた日と同じ長さに前髪を切ったはずだった。

あの日と同じようにセットしているはずだった。

なのに、上手くいかない。

今まで積み重ねてきた技を駆使しても、うまくいかない。

 

アヤミは時計に目をやる。

待ち合わせまでまだ時間がある。

アヤミはふたたびドライヤーのスイッチを入れた。

 

約束の時間、ふたりは待ち合わせ場所にいた。

雨はさらに強くなっている。

 

サダアキは赤いキャップをバッグに入れ、アヤミは前髪をピンで留めている。

 

サダアキは時間ギリギリに赤いキャップを見つけた。

普段なら絶対に買わないであろうデザインのものを。

だってそれしかなかったから。

 

アヤミは時間ギリギリに前髪をピンで留めた。

普段なら絶対にピンで留めることはしない。

だって人生トップクラスにうまくいかなかったから。

 

初デートだというのに、お互いどこか俯きがちだ。

雨脚は強くなる一方。

そんなとき、突風が吹いた。

 

アヤミの持った傘がよれ、髪がびしょびしょに濡れる。

 

アヤミの前髪はひどく乱れた。

 

「こんな雨だからどこか中で待ち合わせすればよかったね」

サダアキは前髪を直すアヤミに謝った。

 

アヤミはなにも言わず、前髪を直す。

悪いのはサダアキじゃないのはわかってる。

でも、もう前髪はどうしようもないレベルまで乱れている。

 

「あの…これ、ちょっと変だけど、被る?」

サダアキはバッグから赤いキャップを取り出した。乱れた髪型は女性なら誰でも気にする。アヤミの気にするレベルは群を抜いているが、そんなことサダアキは知る由もない。サダアキはただキャップを被れば隠せるだろうという判断だった。

 

ダサい赤いキャップ。こんなセンスだと思われるのは嫌だったけど、ドライヤーもアイロンもないこの場所で髪を隠せるのはこれしかない。

 

「……ありがとう」

アヤミは俯きながら赤いキャップを手にする。

 

「あっ、かわいい!」

アヤミの声色が変わった。

サダアキは驚いた。

 

「かわいい?」

「うん。ほら、今日の服にも、なんか合う」

アヤミはキャップを被る。

 

「どう?」

アヤミは笑ってサダアキを見る。

 

「いいね」

サダアキも笑った。

 

ダサいはずのラッキーアイテムの赤いキャップが、やたらと似合う。

ダサいはずの赤いキャップを、かわいい、と言うアヤミが、かわいい。

 

「キャップが似合うんだ」

サダアキはアヤミに言う。

 

「本当?今まで被ったことないけど」

アヤミは前髪の解決策がひとつ増えた気がした。

 

「行こうか」

「うん」

サダアキとアヤミは並んで行く。

 

雨脚が弱まる気配はない。

傘を叩く雨音は強いまま。

そのぶん、会話をするふたりの距離は近づいている。

一寸先は闇ばかりじゃない

朝は憂鬱だったけど


朝から舌打ちが止まらない。

理由は明白だ。

バイトに行きたくないから。

 

ショウマは決めた。今日でバイトを辞めてやる、と。

 

バイト自体は問題ない。

しかし、問題はあのおばちゃんだ。

ショウマのやることなすこと、すべてになにか一言言ってくる。

 

ショウマはおばちゃんが苦手だった。

きっと嫌われている。

おばちゃんから小言を言われるたび、バイトを辞めたくなる。

 

舌打ちをしながらショウマは家を出る。

バイトに向かうため。

でも今日までだ。

今日バイトに行ったら辞めることを伝えよう。

 

舌打ちは止まらない。

でも心なしか足取りは軽い。

舌打ちはなにかのリズムを刻んでいる。

ショウマは自転車にまたがり、ペダルを漕いだ。

 

「おはようございまーす」

バイト先に着いたショウマは小さく挨拶する。

 

「声が小さいわよ」

休憩室の奥から大きな声が聞こえた。

ショウマの天敵のおばちゃんだ。

 

「……すみませーん」

ショウマは挨拶よりもさらに小さな声で言った。舌打ち付で。

 

ショウマは休憩室へと入っていく。

奥ではおばちゃんが座ってお茶を飲んでいる。

ショウマはおばちゃんを見ることなく近づいていく。

 

「あの……ちょっとお話が…」

伏し目がちのままおばちゃんへと近づく。

 

「ショウマ君。今日から新しい子が入るからよろしくね」

おばちゃんはショウマの言葉を遮りながら、手招きする。

 

「はあ……」

ショウマは心の中で舌打ちをする。

でも今日までだ。今日さえ我慢できれば、明日からは自由の身だ。

 

そう言い聞かせながら、おばちゃんの手招きに従う。

 

「こちら、アヤちゃん。ショウマ君と同い年だよ」

おばちゃんが差し出した手の先には、ショートカットの女の子がいた。

 

「今日からよろしくお願いします」

アヤは椅子から立ち上がり、深々とお辞儀をする。

 

「……あっ、どうも」

ショウマは思い出したように挨拶する。

 

深く下げた頭を上げたアヤの顔に、見とれていたからだ。

 

「ショウマ君が教育係だから、しっかり教えてあげてね」

おばちゃんがお茶をすすりながら言う。

 

「お願いします」

照れたようにアヤが言うと、ショウマは大きく頷いた。

 

「そう言えば、さっきなにか言おうとしてた?」

おばちゃんは椅子から立ち上がり、ショウマに近づく。

 

「……いえ、なにも」

ショウマは今日一番の大きな声で言う。

 

「教育係、はじめてでしょ?店長にはもう許可取ってるから頑張りなよ。あっそうだ。アヤちゃん、彼氏いないってさ」

おばちゃんはショウマの耳元で囁く。

 

「頑張ります!」

ショウマは今日一番の大声をすぐに更新した。

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